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新日鉄住金で働く労働者のアスベスト問題を考える。新日鉄住金アスベストを考える会八幡

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〒806-0052 北九州市八幡西区鳴水町2番17号

資料/証言集testify





「製鉄労働者新聞」に見る会の活動の歩み

タールによる健康障害の実態と問題点について





証言集

iさん

昭和 32 年*月、八幡製議所に入社。動力部*へ配属。
汽機修理班、仕上工となる。仕事は、官庁検査の為に発電所タービン本体及び補機類の分解,点検,手入れ,補修,検査,組立,試運転。
西田発電所(4 台) ,枝光発電所(3 台) ,洞岡発電所(1 台) ,新洞岡発電所(2 台〜s、37 年稼働) ,発電機(計 10 台)出力 15000〜50000kw。蒸気温度 350℃~500℃、蒸気圧力 50kg/c u〜100kg/c u、各種あり。工期は、30 日(一般的に)。

作業内容は、@外衣取外し取付け、A車室の保温材(石綿の布団)取外し取付け、B高圧ボルト取外し取付け(ヒーターにて)、C上車室取外し取付け、D内部車室取外し取付け、E羽根車(ローター)取外し取付け、F隔板取外し取付け、G分解部品の洗浄、手入れ点検。H各補機類の分解点検。
保温材(石綿)の取外し,補修,取り付けは一般的に保温板金班。その後、専門業者が施工しているが、直営施工時代は自分達も手伝っていた。埃等で環境も悪かった。又、各蒸気配管にも保温の為に石綿材を使用。配管取外し、フランジパッキン取替え等も行っていた。車室(ケーシング)R部分の亀裂検査の為に、研摩後カラーチェック。羽根車(ローター)の動翼を洗浄後カラーチック。
昭和 38 年*月、転属。

その頃、タービンの官庁検査が毎年から 2 年毎になり、作業量の半減から、西前田酸素工場(5 基)、 洞岡酸素工場(2 基)の酸素圧縮機,空気圧縮機及び膨張タービンの整備を施工する。膨張タービンは、空気温度−170℃位の為、本体を石綿にて埋め込んで保温している。1 プラントに 2〜3 台、ドイツ製,日立製,神鋼製。回転数 15000〜30000rpm/min と容量もメーカーも各種あり。
膨張タービンは、点検時プラント外板の上部又は側面より外板の一部を取外し、石綿を外部に搬出する。その後、配管フランジ等を切り離してタービン本体を外部に取り出す。外板内側は石綿が付着しており、一部は石綿が埋まったままである。当時は、保護具等はなく、ガーゼマスク・タオル等を使用し
ていたので、作業終了後も 2〜3 日は喉が痛かった。
膨張タービンの石綿搬出は、普段は業者が施工するが、緊急時は自分達で搬出した事が時々あった。

昭和 54 年*月、転属
八幡から戸畑へ移動。戸畑酸素工場、戸畑動力工場の各種圧縮機、膨張タービン、発電機、送風機。
高炉工場の炉頂圧発電タービン等、主として高速回転機械の整備をしていたが、他に、製鉄所内の原料,コークス,高炉,製鋼,分塊,厚板,軌条,熱延,冷延,珪素,大型,鋼管等の総ての工場で各種の工事を行った。


yさん

昭和 32 年八幡製鉄に入社し、動力整備に配属
タービン仕上げ工として、整備人生が始まりました。当時は、高速回転の神様「山岡宿老」が御健在で、西田発電所を巡回され、激励を受けたことを懐かしく思い出します。
動力の整備は、八幡製鉄所の 4 つの発電所のタービン・ボイラーさらに 2 カ所、酸素工場の整備補修をしていました。

私たちの整備は、大量の石綿と多種石綿製品抜きに語ることは出来ません。蒸気タービンと高温高圧の配管は、保温の為に多数の石綿を充填した布団で覆われていました。毎定修、取り外す時、大量の石綿が空気中に舞っていました。さらにタービン全体をエアブローするので、建屋全体に石綿の粉塵が拡がって、床面は真っ白になっていました。高温高圧の部分には、特殊で高価なバルカーパッキン(石綿製品)が使用され、分解時の取り外しに困難を極めました。サンダーやサゲで根気強く取り除くと、粉となって宙に舞っていました。

酸素工場のプラント本体は、大量の石綿が保冷の為に充填され、定修時に取り出し、プラントの間に山積みされていました。その横では、大型の送風機が高速で廻っていて、建屋の中は、石綿粉塵でよどんでいました。
その当時、私たちの整備は、膨張タービン、送風機、緊急遮断弁でした。その修理時に石綿の取り出し、弁の修理は石綿のトンネルの中での作業でした。外に出ると、衣服は石綿で真っ白くなり、外でエアーで吹き飛ばし、除去しました。

その当時の防護は、頭にかぶるズキンとガーゼマスクだけでした。石綿の危険性や害について、知らず語らずに、責任者はマスクせずに、弁の取り外し作業をしていました。
これらは、入社後約 10 年石綿にたずさわった作業のほんの一部です。



mさん

昭和 36 年〜45 年までの 9 年間、酸素工場の整備作業に従事しました。この期間に、主にアスベスト(石綿)と直接関わった作業をしていました。
酸素工場は、空気を−190℃くらいまで冷やして液体空気を作り、気化温度差によって窒素と酸素に分離して、酸素を作る工場です。マイナスの世界でのプラントですので、断熱材(アスベスト)の中に、タンクや配管、バルブ等が埋もれています。プラントが、鉄板に囲まれた部屋のようになっていて、各バルブが鉄板の壁より出ていて、操作(開閉)が出来るようになっています。

修理取り替えが出来るように、ボルトで締め付けたマンホールがあります。バルブ,配管,フランジ等にトラブル(漏れや操作不良等)が発生すれば、マンホールを外して、中にぎっしり詰まっている石綿を 3 本鍬等で掻き出し、バルブが壁より1mくらい奥にあるので、人が寝そべって入れるくらいの空間を作り、その中に頭から入りこんで、修理作業をしていました。

テストをして良かったら元通りに石綿を詰め込んで、マンホールを取り付けて終わりです。石綿を掘った下にウェスを敷き詰め、手持灯を入れて 1 人作業をしました。外には2〜3人グループ員がいて、長時間作業のときには、交替して作業をしていました。ちなみに、当時はヘルメットも防塵マスクも無かった時代でした。口や鼻部分にはタオルを巻いて、布製の頭巾をかぶって、目にはゴーグルをして、修理していました。

穴の中では上から石綿が落ちてくるし、横からも崩れてくるし、穴から出てきたら、身体中石綿の粉で一杯になっていましたので、すぐエアーブローして、付着した石綿を吹き飛ばして、職場に帰ります。
帰ったら身体中ジカジカして、次の作業が出来ない為に、すぐ服を脱いで風呂に入って着替え、汚れた服は、作業場の洗濯機にて洗いました。時間中であっても、この様な作業をしたときは、風呂も認められていました。

日常の修理は工場内で、ポンプ,ブロワー,配管その他の機械の修理にあたっていました。注:石綿に汚れた服は 1 回も家に持ち帰らなくて、家族の被害は出ませんでした。修理(プラント内)は1〜2回の定修日と、突発の修理が時々ありました。
協力会社に出向して、やがて製鉄所を年満退職となり、同時に転籍となりました。

以前、製鉄所の健康診断で、肺にプラーク(影)があるので、満期前に職業病認定をもらっていた方が良いと、医者に言われていた事を思い出し、協力会社退職前に手続きをしようと、平野の検診をする所、製鉄本事務所、協力会社の労働安会係の人たちに相談し、提出書をもらって記入しました。なかなかすんなり出来ず、何回も足を運びました。

(提出書類)
@ いつ頃から、どんな作業を何時間したとか細かく書きました。
A レントゲンフィルム
B 事業所の従事証明(製鉄所と協力会社の分)
C 医師の診断書
以上を取り揃えて、福岡労働局へ提出。
半年くらい経って、福岡労働局より(平成 14 年 9 月)じん肺管理区分決定通知書が送付され 2てきました。当時は、じん肺(石綿も含む)として届けていました。

結果は、管理2 PR1 F(−)というものでした。
じん肺法第 15 条第 3 項において準用する同法 13 条第 2 項による。と書いてありました。
注:PR1…X線写真が第 1 型。F(−)…肺機能障害無し
協力会社を年満しても、製鉄病院の呼吸器科に係って 2 回/年のレントゲン検査を行なっていました。これは、自費払いでした。それから数年後に健康管理手帳をもらえば、無料で検診してもらえるという情報を知り、早速労基署に提出書類を揃えて提出しました。

(提出書類)
@ レントゲン
A 医師の診断書
B じん肺管理区分決定通知書の写し
C 申請書→この中に事務所の従事証明記入欄有り
平成 18 年 3 月、じん肺健康管理手帳を取得することが出来ました。

(記載内容)
昭和 36 年〜昭和 45 年 新日鉄に於いて石綿取扱作業 じん肺則 24 号
昭和 45 年〜平成 9 年 新日鉄に於いてじん肺・溶接煙等 じん肺則 20 号
平成 10 年〜平成 14 年 新日鉄に於いてじん肺・溶接煙等 じん肺則 20 号
しばらくしてアスベスト問題が話題(新聞等)となり、アスベストだけの健康管理手帳の発行も出来ることを知り、すぐに申請し、平成 18 年 6 月に取得しました。
健康手帳によるレントゲンやヘリカルCT等の検査も、数年間異常が見られませんでした。

平成 20 年の検診にて、肺に水が溜まっているのが見つかりましたが、次の検診では消えて元通りになっていたので、治療はしませんでした。
昨年、咳と微熱が続き病院へ(黄色い痰がでる)痰の検査にて肺に真菌(カビ菌)が発見され、即入院治療をする。50 日ほど入院して退院となり、自宅にて、薬治療中です。治療費は労災保険で無料にできると言う医師の勧めで、労災保険給付申請書を労基署に提出しました。

(提出書類)
@ レントゲン
A 医師の診断書
B 傷病の状態等に関する報告書
C 作業履歴
受理されたので、入院治療費(点滴,薬,検査費その他)総額 150 万円くらいかかったけど、無料になった。食費、個室代等は自費払いとなりました。

それ以降の診察、薬代は無料(労災保険より支出される)になりました。また、病気が完治するまでは、休業補償、給付金が支給されます。
休業時の日額の 80%が支給されます。給付基礎日額:医師の診断によって、疾病の発生が確定前 3 ヶ月の平均額です。毎月、休業補償給付支給請求書を労基署に提出します。後日銀行に振り込まれます。



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